「近付く」を現代かなづかいで書きました。正しいのはどっちでしょう。
「づ」が正解。
「ちかづく」は、形容詞「近い」の語幹「ちか」+動詞「付く」からできた語で、この場合はことばのでき方にしたがい、「付く(つく)」のかなづかいに合わせて、「づく」と書くのが現代かなづかいの決まりです。 「片づく」「基づく」なども同様です。 |
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「地震」を現代かなづかいで書きました。正しいのはどっちでしょう。
「地球(ちきゅう)」「土地(とち)」に見るように、「地」は「ち」と読むから、「地震」の場合も「ぢしん」が正解だろうと考える人があるかもしれませんが、実は、それは誤りです。
常用漢字表によると、「地」には、「ち」と「じ」の二つの音(おん)があって、「じ」と濁っていう場合は、「ぢ」ではなく、「じ」のほうを使って、「じ」と書く、というのが現代かなづかいの決まりです。 |
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「二百十日」を現代かなづかいで書きました。正しいのはどっちでしょう。
「十」を「トー」と読む場合の、正しいかなづかいは「とお」。
「十」は、歴史的かなづかいでは「とを」と書きますが、現代かなづかいでは、「を」は、助詞の「を」を除き、すべて「お」と書く決まりになっています。そこで、「とお」と書くことになるのです。歴史的かなづかいで「をとこ(男)」と書いたものが、現代かなづかいでは「おとこ」となるのと同じ理由ですが、「トー」と発音する語は「とう」と書くことがおおいために、つい「とう」と書きがちです。 |
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次の太字の語は「送り仮名の付け方」に従って送ったものです。正しいものを1つ選んでください。
それぞれ「必ずしも」「幼子」「恥ずかしい」「己」「折々・折折」が正しい送りがなです。
特に、「幼子」「己」は、「幼な子」「己れ」としたくなるかもしれませんが、現行の送りがなでは認められていません。 |
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次の文で、外来語の表記がより適切なのはどちらでしょう。
外来語の伸びる音は、一般に「ー(長音符号)」を使って書きます。それに従えば、「ボーリング」が正しいことになりますが、この場合は例外で、「ボウリング」が正解。
穴を掘るほうの「borring」を「ボーリング」とし、スポーツのほうの「bowling」を「ボウリング」として、紛らわしい語から生ずる混乱を避けようとするわけです。野球の場合は「ボール(ball)」、ボウリングの場合は「ボウル(bowl)」のほか、スポーツは「バレー(volley)」、舞踊は「バレエ(ballet)」なども使い分けられています。 |
次の中で、ら抜き表現はどれでしょうか。
「しゃべれます」の「しゃべれ」、「すべれません」の「すべれ」も、「投げれます」「投げれません」の「投げれ」も、形の上からは〈ら抜き〉のように見えます。しかし、「しゃべれます」「すべれません」の「しゃべれ」「すべれ」は、それぞれ、五段活用「しゃべる」「すべる」の可能形「しゃべれる」「すべれる」の連用形といわれるもので、ともに正しい言い方です。
(2)「投げれます」「投げれません」だけが、ら抜きです。 そのほか、 「(×)来れる→(○)来られる」 「(×)着れる→(○)着られる」 「(×)出れる→(○)出られる」 などにも注意! |
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どちらのほうがより適切な言い方でしょうか。
「さ」のはいった「知らなさすぎる」も、誤りというわけではありませんが、より適切な言い方は「さ」を伴わない「知らなすぎる」のほうです。
「お金がなさすぎる」のように、形容詞の「ない」に「〜すぎる」が続くときは、必ず「さ」がはいりますが、否定の助動詞「ない」に「〜すぎる」が続くときは、「な」に直接「すぎる」がついて、「〜なすぎる」となるのが一般的です。 「ものを言わなすぎる」「話を聞かなすぎる」なども同様です。 |
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どちらのほうがより適切な言い方でしょうか。
何となく分かってはいるが、違いを説明せよと言われると困ってしまうのが助詞の用法です。
ここでは、とりあえず、「と」は対等の相手を、「に」は動作の向かう方向性のある相手を表すと覚えておきましょう。「先生とお会いする」というと、先生が対等の相手になり、礼儀を失する言い方になってしまいます。「に」を使って、「先生にお会いする」というほうがより適切な言い方になります。 |
次の文のうち、謙譲語はどれですか。
(1)は命令形になっていますから、ちょっと見分けにくいかもしれませんが、尊敬語です。「食べる」「飲む」の尊敬語である「召し上がる」が使われていることに注目しましょう。
(2)は「食べる」という敬語動詞ではない普通の動詞が使われていますし、「ません」という形で「ます」が現れますから、丁寧語です。 (3)が謙譲語。「食べる」「飲む」の謙譲語である「頂く」に、へりくだりの気持ちが現れています。 |
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次の文のうち、適切な使い方をしている敬語はどれですか。
(4)を除いて、すべてが二重敬語になっています。
(1)は「お越しになられた→お越しになった」、 (2)は「お召し上がりになられます→お召し上がりになります」、 (3)は「いらっしゃられます→いらっしゃいます」のように言うのが正しい敬語です。「→」の右側で十分に敬意は表現されています。 なお、(4)を「今、なんとおっしゃられました?」と言うと、二重敬語になります。 |
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次の文のうち、誤った使い方をしている敬語はどれですか。
「参る」は「来る」の謙譲語であって、尊敬語ではありません。(1)は、謙譲語を尊敬語と誤認して使ったもので、誤りです。
(2)(3)(4)が正しい言い方です。「来る」を使って、「先生が来られました」ということもできますが、洗練の度合いからいうと、(2)(3)(4)には及びません。 (3)(4)を簡略化して、「先生がおいでです」「先生がお見えです」ということもできます。 なお、「先生がお見えになられました」は二重敬語。誤用になります。 |
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次の敬語のうち、正しいものはどれでしょう。
正しい言い方として、
(1)は、「お名前は何と申されますか?→(尊敬語)お名前は何とおっしゃいますか?」 (2)は、「こちらでお待ちしてください→(尊敬語)こちらでお待ちください」 (4)は、「受付でお伺いしてください→(尊敬語)受付でお聞きください・受付でお尋ねください」 などがあります。 (1)は、謙譲語「申す」を、誤って尊敬語として使ったもの。 (2)は、謙譲語の「お〜ください」を、誤って「お〜してください」としたもの。「して」が余分で、これが入っただけで誤りになります。 (4)は、謙譲語「伺う」を、誤って尊敬語として使ったもの。 (3)の「特急券をお持ちでない方はお乗りになれません」を「特急券をお持ちでない方はお乗りすることはできません」とすると、誤りになります。 |
団体や会社などの宛名に添えて敬意を表す「御中」について、下の中から正しい説明を選んでください。
昔は脇付(わきづけ)に使ったもので、「おんなか」と読みましたが、今はもっぱら宛名に添える敬称として使い、「おんちゅう」と読みます。個人名に添える「様」に当たりますので、「〜様御中」とすることはできません。
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手紙文で初めのあいさつに使う「拝啓」の類を頭語(とうご)、結びのあいさつにつかう「敬具」の類を結語(けつご)と言います。ところで、手紙文は、「拝啓」で始めたら、「敬具」で結ぶというように、形式的な約束ごとがあります。適切な組み合わせのものを選んでください。
「前略」は、時候のあいさつを省略しますの意。「草々」(ときに「不一」)で結びます。
「草々」は、簡略なさまをいう語で、「匆々」とも書きますが、「早々」と書くと誤り。 「冠省」も、時候のあいさつを省略する意ですが、「前略」よりもやや硬い表現で、「草々」と組み合わせて、(急ぎの)ビジネス文書などで使われます。「かんしょう」と読み、「かんせい」と読むと誤り。 「謹啓」は、最上級の敬語ですから、「敬具」で結ぶのが一般的。 「不一」は、意を尽くさないの意で、「草々不一」とも使います。 |
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手紙の頭語として使う「冠省」、これは何と読むでしょうか。
「冠省」は、冒頭のあいさつを省略(しょうりゃく)する意で、正解は「かんしょう」。
「反省」「三省」「省察」など、みずからをかえりみる意の読みは、「せい」となります。 |
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手紙の脇付(わきづけ)について、次の説明のうち、正しいものを選んでください。
手紙の宛名に添えて敬意などを表す「侍史(じし)」「机下(きか)」「玉案下(ぎょくあんか)」「御許(おんもと)」などを、「脇付(わきづけ)」といいます。
「侍史」は、むかし貴人に仕えた書記のことで、お手紙を書記の手を経てうやうやしくお届けしますの意。 「机下」「玉案下」は、ともに貴方の机の下に差し出しますの意。 「御許」は、貴方のおそばに差し上げますの意で、これは女性専用です。 |
次のうち、正しいのはどれでしょう。
「けんもほろろ」は、冷淡でとりつくしまもない意。「けん」も「ほろろ」もキジの鳴き声から出たと言われています。そうだとすると、「剣も…」とは書けません。
「けんもほろほろ」は誤りですが、どこか愛嬌があるところがいいですね。 |
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次の文のうち、正しいのはどれですか。
「愛想もこそも尽き果てる」は、「愛想が尽きる」を強めていう言い方。
「こそ」は語調をととのえるために加えたもので、特別の意味があるわけではありません。 有名な小説家で、「愛想もくそも尽き果てる」と書き続けた人もいますが、もちろん誤りです。 |
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次の文のうち、孔子のことばで、人として当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからである意を表していることばはどれでしょう。
「義を見てせざるは勇なきなり」は、『論語・為政』にあることばで、人として当然行うべき正義と知りながら、それを実行しないのは勇気がないからであるの意。
「義」は「仁」「礼」「智」「信」とともに儒教の五常の一つ。筋道の通った正しい行いをいいます。 「機を見てせざるは勇なきなり」はそのもじりで、機会が到来しているのに実行をためらう人を勇気づけていうことがあります。 |
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次の文のうち、正しいのはどれでしょう。
正解は「蟻の這い出るすきもない」で、逃げ出すためのすきまもないほどに警戒が厳重なことをいう。
「這い出る」は、はって出る意。 「這い入る」は、はって入る意。 「入り込む」は、一定の囲いの中に入る意。 警戒する側が取り囲むわけですから、取り囲まれた側が「這い入る」「入り込む」では、意味をなしません。 |
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次の文のうち、正しいのはどれでしょう。漢字の意味を考えて解いてください。
正解の読み方は、「幽明(ゆうめい)、境(さかい)を異(こと)にする」。
「幽明」は、あの世(幽界)とこの世(明界)の意で、句全体で、死に別れて冥土(めいど)に行くことを言い、「幽明、境を異にしても二人の愛は変わらない」などと使います。「幽明、相隔(あいへだ)つ」とも。 (3)の「幽冥」は、死後の世界、すなわち、冥土の意。 |
update:2006.02.02 |