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日本語こだわり調査団

ATOK 信頼の日本語の出発点。「ATOK監修委員会」にせまる!

「ATOK監修委員会」ってなに?

ATOKに収録する日本語を監修するために、1992年1月に発足した組織で、作家、日本語学者、辞書家、学校の先生、マスコミ関係者など様々な世界で言葉に取り組んでいる方々が参加しています。今ではことばを扱うプロフェッショナルの方にも高く評価されるATOKの信頼は、ここが原点となっています。

ATOK監修委員会の成果は、1993年4月に発売した「ATOK8」で結実しました。その当時を、ATOK監修委員会 座長 紀田順一郎先生に振り返っていただきました。

紀田順一郎 <評論家、作家、ATOK 監修委員会座長>

1935年 横浜生まれ。近代思想史、文化史、書誌学、出版情報論、言語やコンピューターなど幅広い評論活動を行うほか、推理小説も手がけるなど、作家としても活躍。日本語についても深い関心を持ち《日本語研究シリーズ》全四巻を刊行。1992年よりATOK監修委員会の座長を務める。


ジャストシステム発刊の雑誌「MOAI」(1992年6月号)にて、監修委員会立ち上げを報告した記事の写真です。


記念すべき第1回目の会合の議事録。

「ATOKの監修委員になってもらえないか」という打診を「一太郎」の発売元ジャストシステム(以下、ジャスト)から受けたのは、たしか1991年の秋ごろであった。同社のユーザー誌「MOAI」に連載していた私のワープロ関連のエッセイのうち、とくに「辞書はワープロのαでありΩである」を読んだ小林龍生さんほかスタッフからの要望でもあり、私は二つ返事で承諾した。とかく委員とか組織とかいうものにアレルギーを起こしやすい私にとっては、異例の反応だったと思う。

翌1992年1月、最初のATOK委員会が開かれ、私は初期委員の中核となった矢澤真人、高本條治、近藤泰弘の各氏に引き合わされた。ジャストからは小林さんをはじめ、当時開発部の阿望博喜さんほかスタッフの方々が出席した。私以外の委員はいずれ劣らぬ気鋭の言語学者、国語学者ばかりで、ほとんど梁山泊の感を呈していた。

普通名詞とともに、初期委員会において問題となったのは、どのような百科語を入れるかということだった。百科事典に出てくるような人名、地名、事物などの固有名詞は、当時のATOKをはじめとするFEPには、ほとんど入っていなかった。いまでこそ「なごやのなごやきゅうじゅう」と入力すれば、「名古屋のナゴヤ球場」と一発で出るものの、当時は上場企業名を入れるのさえ、迷いに迷ったものである。

このほか数詞や年代表記、片仮名語の表記不統一など、歴史的に日本語がメンテナンスを怠ってきたこと(標準化の放棄)のツケを一手に引き受けたようなもので、理詰めで行こうとすると収拾がつかなくなるおそれがある。そこを何とか切り抜け、約1年間の検討の末にガイドラインらしきものをつくりあげ、ATOK8という形で世に問うたのである。
 (「ATOK監修委員会10周年記念シンポジウム」誌より)


発足当時の資料です。単語を一つずつ検証していきました。

発足以来、ATOKの日本語の規範となっているATOK監修委員会。試行錯誤続きのATOK辞書への語彙拡充も大きな山を超えた今では、主にATOK辞書の洗練に力を入れています。実際にはどのような活動をされているのか、ATOK監修委員会の初期からの委員である高本條治先生にお話をうかがってきました。

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Update:2012.02.10