日本語の懐 協力/大修館書店
連載全12回 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回
課長、不測の事態
2004年も残りわずかになってきました。永徳百貨店は、クリスマス&ニューイヤーのあらゆる催事を控えて、1年でいちばん気合いが入っている時期。インテリア事業部では、月曜朝恒例の全体会議が開かれています。
登場人物
渡辺課長 渡辺課長
永徳百貨店・インテリア事業部勤務。過去に日本語に関して厳しい教育を受けて以来、普段の言葉遣いや接客での日本語に目を光らしている。
ウスイ主任 ウスイ主任
31歳の若さで主任に抜擢。売り場を見ながら仕入れもかじる。日本語教育は新人研修で受けたもののいまいち自信がない。
ねねちゃん ねねちゃん
新入社員一年生。接客ではマニュアル通りの対応を見せるが、普段はリラックスしすぎている言葉遣いで先輩社員の頭を悩ませている。
課長 「今日は各自報告の後、新年催事の詰めと、年明け2〜3月予定の新生活応援キャンペーンの初回打ち合わせをします。忙しい時期なので1時間で終わらせます。ではまず各自報告、ねねくんから」
ねね 「はい。新年催事ではO社からの商品搬入は12月16日予定、M社からは17日予定です。
前もって13日にtel確します。今週は新生活キャンペーンの準備にあてます。以上です」
―順調に部内の報告が続き15分経過。新年催事の詰めに入る。
課長 「各自の報告をまとめたレジュメを配ります……スケジュールや手配に何か問題がありますか?」
―みんなレジュメに目を通す。特に問題はない雰囲気に包まれたころ、インテリア事業部の鬼ボス・狩野本部長がおもむろに口を開く。
本部長 「渡辺課長、このレジュメは読み返したか?」
課長 「…はい、ざっとですが」
本部長 「社内の報告書とはいえ、たとえば5行目の『商品不足の事態に陥らないよう、充分に注意すること』には二つ紛らわしいところがある」
―軽いめまいをおこす渡辺課長。一同、一瞬息をのみ深いため息がもれる。ねねちゃん、ひとり眉間にしわを寄せて間違いを探す。
本部長 「まず『商品不足の事態』だが、これは『フソクの事態』の使い方が間違っとる。ウスイ主任、わかるだろ?」
ウスイ 予想できないことが起こることで、ソクは足ではなくて、観測の『測』です
本部長 「そうだ。これだと『商品不足』と『不測の事態』が合体してる。『不足』を防ぎたいのか、『不測の事態』に対処したいのか、さっぱりわからん」
ねね 「でもホンブチョー、この『商品不足の事態』=『商品が足りないこと』を指しているのだから、間違っていないようなー」
本部長 「(ニヤリ)その通りだが、言葉としてわかりやすいか考えてみたか? この場合はどうすればいいと思う?」
ねね 「……」
本部長 「わざわざ難しく書くからややこしくなる。『商品不足にならないように』でわかるだろう。『事態』がなくても意味は通じる」
ねね 「(えっそーゆー答えなの? と思いつつ)そっ、そうデスね…」
本部長 「報告書だからといって、難しい言葉を使わんでもよいのだ。一度読んでわかる文章を書くのがサービスというもんだ。もうひとつの間違いはどこかわかるか? ウスイ主任」
ウスイ 『充分』の『充』が数字の『十』という所でしょうか…
本部長 「そうだ。ねねちゃんは、どっちでもいいじゃん! という顔をしてるな」
ねね 「いえ…ってゆーか、『充実』のイメージがあって『充』の方が数字の『十』より、すんごい注意してね! ってニュアンスがあるような気がシマス」
ウスイ 「たしかに『充分』の方が強いというか、『十分』とは違うぞ、わざと『充分』という字を使ってるんだぞ、という“わざわざ感”があります。『充分』は当て字ですか?
課長 「そうだね。作家では使い分けている人がよくいるけど、新聞とかでは『十分』がほとんどだ。「十分」を強調する「十二分」の場合は、「充二分」と書かないから納得がいきやすいかな
ねね 「でも〜時間の『十分』と紛らわしくないデスか? 料理のレシピで『十分煮る』とかいうときに、時間で『十分』なのか、味がよくしみるまで『十分』煮るのか、一度読んだだけではわかりませんヨ」
―おとなしくしていた課長も加わり、いつものニホンゴ3人組で盛り上がり始める。
本部長 「(イライラしながら)そういうときは数字で10分と書けばよいのだ。それにこのレジュメの場合は料理ではないから、十分でよい。それより渡辺課長、会議を次へ進めよう」
課長 「でっでは、新年催事の件は問題ないですね。次に新生活応援キャンペーンについてですが…」
ねね 「(小声で)狩野さん、自分で言い出しながら飽きちゃったんデスね…」
ウスイ 「(同じく小声で)いつものことだから…」
―結局会議は2時間かかって終了。
本部長 「これから忙しくなるが、各自お客様へのサービス精神を第一に励むこと。不測の事態には、周りと十分助け合って対処するように。以上。解散」
ねね 「狩野さん、ご満悦デスね。課長よりつっこみがいちいち細かいですよ。センパイ、言っておきますケドあのレジュメは、ねねが書いたんじゃないデスよ」
ウスイ 「知ってるわよ。あれは課長がまとめたものなんだよね」
ねね 「はあ〜そうなんデスか〜落ち込んでるでしょうネ〜。よりによって課長がニホンゴの間違いを注意されるなんて」
―ウスイとねねの会話を遠くに聞きながら、意気消沈気味の渡辺課長。1週間は、まだ始まったばかり。
企画協力/鳥飼浩二(明鏡国語辞典編集委員)
参考サイト/『明鏡日本語なんでも質問箱』(大修館書店)
文責/オフィス・ワイズ 屋敷直子
※「日本語の懐」に登場する百貨店名、人物名はすべて架空で、実際のものとは一切関係ございません。
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update:2005.10.21