日本語の懐 協力/大修館書店
連載全12回 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回
「すいません」?「すみません」?
新生活キャンペーンのためにムラサメが派遣されてきて、はや3週間。毎日のように各部署のスタッフに飲み会に誘われているムラサメに、メラメラとライバル意識を燃やしている、ねねちゃん。穏やかならぬ雰囲気が漂う、永徳百貨店インテリア事業部である。
登場人物
渡辺課長 渡辺課長
永徳百貨店・インテリア事業部勤務。過去に日本語に関して厳しい教育を受けて以来、普段の言葉遣いや接客での日本語に目を光らしている。
ウスイ主任 ウスイ主任
31歳の若さで主任に抜擢。売り場を見ながら仕入れもかじる。日本語教育は新人研修で受けたもののいまいち自信がない。
ねねちゃん ねねちゃん
新入社員一年生。接客ではマニュアル通りの対応を見せるが、普段はリラックスしすぎている言葉遣いで先輩社員の頭を悩ませている。
―土曜午後のインテリアフロア。このところ多いのが、新小学1年生になる子供のための学習机を選びにやってくる家族連れだ。幼稚園教諭の資格を持つというムラサメが、今も子供相手に真価を発揮している。
ムラサメ 「(子供=たかしに)うん、この椅子はね、こうやって高くすると、ほ〜ら、ぴったり!」
子供の母 「あ〜ら、いいわねえ、どう、お絵かきしやすそう?」
子供の祖父 「ライトが切れたら、どこから交換するのかな?」
子供の祖母 「たかしちゃん、あっちのも素敵よ」
ムラサメ 「(祖父に)これはですね…」
たかし 「僕、これがいい。兄ちゃんの机より、でかくてかっこいい!」
祖父 「ほう、それじゃあ、お兄ちゃんがかわいそうだなあ。」
ムラサメ 「あはは、すいません…
祖父 「いや、あなたはなにも悪くない」
ムラサメ 「たしかに、そうですね、ハハ、すいません」
祖母 「あら、あなた、失礼よ。謝ってるのに、ハハハなんて笑って」
ムラサメ 「あ、すいません、すいません。笑ったわけではなく…」
たかし 「笑ったも〜ん。見たも〜ん」
祖母 「だいたいねぇ、あなた、『すいません』じゃないでしょう。『すみません』よ、『す・み・ま・せ・ん』。『すいません』なんて、仕事では使わないべきなんじゃないの?」
ムラサメ 「いや、これまた、すいません…じゃなく、『すみません』」
―ムラサメ、ピンチ! そこへさっそうと現れたのが、われらがねねちゃんだ。
ねね 「お客様、申し訳ございません。私どもになにか不手際が…」
祖母 「(ムラサメに)そうよ! あなた、これよ! 『すいません』でもなく『すみません』でもなく、『申し訳ございません』。これが正しい接客用語よ!」
祖父 「うむ、間違いない!」
祖母 「この机、いただくわ」
ムラサメ 「どうも、すみません…」
祖母 「あら、あなた、今の『すみません』は、どういう意味?」
ムラサメ 「…いえ、お買い上げいただいたので…」
ねね 「お客様、お買い上げいただきまして、ありがとうございます」
祖母 「はい、あなた、気に入ったわ。うち、来月、リフォームするんだけど、ベッドやサイドテーブルなんか揃えるときは、あなたにお願いするわ」
ねね 「なんなりとお申し付けください」
―無事、その場は収まり、お客様は機嫌よく、帰っていった。しょげ気味のムラサメに、ちょっと同情も感じたねねちゃん。およそ1年前の自分を見ているような気がしたのだ。
ムラサメ 「どうも、すみませんでした」
ねね 「うう〜ん、いいのよ。とき〜どき、いるのよ。言葉使いにうるさいお客様って〜」
ムラサメ 「でも、センパイ」
ねね 「えっ、センパイ?」
ムラサメ 「あのおばあちゃん、なんで最後にお礼を言ったとき、私に絡んできたんでしょうね」
ねね 「すみません、っていう言葉には感謝の使い方より、謝罪の意味で使うことが多いからぁ〜…。謝っているのか、お礼なのか、はっきりしろ!ってことだと思うけど〜」
ムラサメ 「なんか、私、お客様と話すの、こわくなってきました」
ねね 「そういえば、『すみません』を使わなければいいって、昔、ウスイセンパイが言ってたなあ。謝罪なら「申し訳ございません」、感謝なら「ありがとうございます」って、『すみません』みたいなあいまいな言葉じゃなくて、きちんと言えって」
ムラサメ 「なるほど」
ねね 「大丈夫?」
ムラサメ 「う〜ん。丈夫、くらいかな?」
ねね 「えっ?」
ムラサメ 「大丈夫じゃないけど、丈夫ですよ」
ねね 「それって、ギャグ?」
ムラサメ 「え、なんか私、ギャグ言いました?」
ねね 「…もしかして、丈夫と大丈夫って、使い分けてるの?
ムラサメ 「はい、ちゃんと。けっこうOK、ってときは『丈夫』だし、絶対バッチリってときは『大丈夫』って」
ねね 「すご〜い! ありえな〜い!」
ムラサメ 「センパイ、こんなことでホメすぎですよ。私だって、これくらい…」
ねね 「ムラサメさん、ひょっとして帰国子女?」
ムラサメ 「いいえ。バリバリの江戸っ子です」
ねね 「ねえ、それ、絶対、間違い。丈夫と大丈夫、って、ぜんぜん違う言葉だよ『大丈夫』は、ムラサメさんの使い方で合ってるけど、『丈夫』って『頑丈』なことを言うんだよ」
ムラサメ 「たしかにそうですよ。『丈夫』は『頑丈』なことを伝えるときにも使いますけど、でも、私だって、ず〜っと小学校のころから、この使い方してました〜」
ねね 「うっそ〜」
ムラサメ 「ぜ〜ったいホントですって。あとで辞書で調べときますよ」
―夕方のインテリア事業部。課長とウスイに、今日のできごとを報告するねね。当然、『大丈夫』と『丈夫』の問題についても話をする。
ねね 「…『大丈夫』と『丈夫』について、そんな説明されちゃって〜、ムラサメさんって、変ですよね。あんまり自信があるって言うから、もしかしてえ〜、逆に私が間違ってたのかも、なんて〜心配になりましたよお。
課長 「ねねクン。君、間違ってるよ」
ねね 「え、うそ!」
課長 「ホントだよ。ムラサメクンが正しい。なあ、ウスイクン」
ウスイ 「ねねちゃん。中くらいの発見なら、ただの『発見』よね。でも、すごい発見なら『大発見』でしょ」
ねね 「え〜、やっぱりぃ! 私ィ、すごい大ハジかいちゃったかもぉ〜。どうしよ〜」
課長 「ハハハ、うそ、うそ。ねねクン、君は正しい!」
ウスイ 「アハハ、ごめんね」
ねね 「課長、センパイ! ひどいですう〜!」
課長 「『丈夫』と『大丈夫』は、ぜんぜん違う。お互いに言い換えの聞かない言葉だよ。取り違えたら、それこそ大間違いだ。ただね、『丈夫』は昔は『大丈夫』と同じように、『病気や怪我の傷が小さくて、危なげないな〜』とか『危なくないことを保証できる!』ってときにも使っていたらしいぞ。ムラサメクンはそれを知っているのかな」
ウスイ 「でも、実際に使っているなんて初めて聞いたわ」
課長 「もしかして、試されたんじゃないか、ムラサメクンに」
ウスイ 「そうかもね」
ねね 「え〜、そんなあ…」
課長 「ただ、その前の『すみません』については、見事と言える。もともと『済む』という動詞からきている言葉で、だから『すいません』とはならないはずなんだ。これは、方言から出た言い方らしいけれど、今は全国的にライト感覚な会話では広く使われているね。本来は『済まん』とか『済まない』という言葉の丁寧語だよ
ウスイ 「ねねちゃん、お姉さんになったわねえ。もう、私のヘルプはいらないわね」
課長 「そうかもしれない、なんてな。ついでに言うと、感謝の場合の『すみません』は、自分が利益を得た反面、相手になにか手間をかけたり、不利益を与えたときに限って使うものだ。モノを落としたときに拾ってもらったり、わざわざ荷物を届けてもらったり…。ただ、ニュアンスが微妙だから、やはり接客の現場では『ありがとうございます』がいいな」
ウスイ 「ねねちゃん、昔は、なんかいつも『すみません、すみません』って言ってたモンね。ペコペコペコペコしてたわよ」
ねね 「も〜、そんなこと、いいじゃないですか〜」
課長 「ムラサメクンの『とかとか星人』ならぬ、ねねクンの『ペコペコ星人』か。あっはっは!」
ウスイ 「ねねちゃん、せっかく言葉使いが上手になったのに、ムラサメさんからからかわれるし、課長からもからかわれるし、踏んだりけったりねえ〜、フフ」
―ピンチのムラサメに同情し、また「センパイ」と呼ばれたこともあって、ムラサメに対する気持ちが好意的なものに変わってきたというのに…。ねねちゃんの胸中に、再びムラサメに対するイヤ〜な感情が沸き起こらなければいいのだが…

企画協力/鳥飼浩二(明鏡国語辞典編集委員)
参考サイト/『明鏡日本語なんでも質問箱』(大修館書店)
文責/オフィス・ワイズ 屋敷直子
※「日本語の懐」に登場する百貨店名、人物名はすべて架空で、実際のものとは一切関係ございません。
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update:2005.10.21